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ベース弾きのヒトリゴト的ブログ

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WEASE春のライブツアー 第3弾 初の名古屋公演決定!!
日 時 2017年5月28(日)14:00開場 14:30開演
会 場 LIVE SONGS
所在地 愛知県名古屋市中区新栄1-12-30 ホワイトプラザB1

詳細はホームページLive infomationをCheck it out!!
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祖母の十三回忌  

 週末、祖母の十三回忌の法事のために帰郷した。
 祖母は、大学進学を期に故郷を離れた私を、いつも心配してくれていた。朝な夕なに神棚に手を合わせ、私の無事を祈っていると、よく母から聞かされていた。
 足が悪く、奥の部屋での寝たきりの生活が長かったが、たまに帰郷すると、ベッドの中からいつも嬉しそうな表情で迎えてくれ、元気にやっていることを話すと、安心したような眼差しを私に向けてくれた。
 祖母のおおらかで優しい愛は、私の子どもたちにも向けられ、私の息子の名前が漢字こそ違え、読みは自分の祖父と同じであることを(それとは知らずに私は命名し、全くの偶然だったのだが。不思議な縁なのかも知れない) ことのほか喜んでくれ、くしゃくしゃな笑顔で息子や娘の頭をよく撫でてくれた。
 その祖母が危ないという知らせを受け、病院に駆けつけたとき、既に祖母の意識は朦朧としていて、その目には何の感情の揺らぎも見つけられなかった。いつもの優しい眼差しを心の何処かで期待していた私は、甘い幻想を打ち砕かれ、祖母との別れの時が近いということを、その時、初めて理解した。
 それから何日かが経ち、祖母の葬儀が営まれた。
 帰りの車の中で、まだ6歳になったばかりの息子は、「もっと生きてて欲しかった。」と声を上げて大泣きした。
 死などまだ理解できてないだろうと思っていたし、離れて暮らしていたため、祖母ともそんなに密な関わりがあったわけではない。
 なのに大声を上げて泣く我が子を見て、その心の育ちを誇らしく思い、そんな風に息子が感じるほどに、祖母の愛は曾孫にもたくさん降り注いでいたのだと思った。
 あれから十二年。あの日泣きじゃくっていた息子も、今年大学を受験する。来春の4月にはおそらく家を出る。
 年月の速さを、家の仏間で行われた法要の間、私はかみしめていた。

 翌朝、私は早く起き、故郷の街を歩いた。毎年帰郷しているが、いつも家の中で飲んでるだけで、街を歩くなんて本当に久しぶりのことだ。
 ここのところ毎週やってるウォーキングのためだったが、懐かしい景色が次から次へと現れ、知らず知らずのうちにペースは散歩ペースに落ちていた。
 無論私がここで生活していた時代の街とは、随分変わっているが、それでも、あちこちに当時の記憶が蘇る場所はたくさんあった。
 私は街角に落ちている記憶の欠片を拾い集めているような気分で歩いていた。

 川沿いの、当時はなかった新しい道を歩いていると、小学生時代の夏休みは毎日泳いでいた遊泳場所への降り口を見つけた。どきどきしながら河原に降りると、飛び込んで遊んだ大岩は今もあった。

揖保川


 一級河川で水量は豊かな川だ。
 上から見ると穏やかに見えるが、一緒に来ていたいとこがおぼれ、それを助けようとした私の父までおぼれかけたという(二人とも無事だった)かなり流れの速い川だが、私は夏中ここで遊んでいた。
 たとえ流されたとしても、あわてず暫く流れていれば、すぐ下流の浅瀬に流れ着くことを、子どもたちはみんな知っていた。

 大岩から初めて飛び込めたときの喜び
 川面には現れていない隠れ岩の取り合い
 向こうの岩の裏にある「大西洋」と呼ばれる、急に深くなっている場所
 泳ぐ鮎やヤマメをつくために買った鋭い三叉のヤス

 思い出と自分自身の嬌声が、流れていく木片のように、浮かんでは消えていった。



 河原から上がり、歩いていると秋桜畑に出会った。

秋桜畑


 「切り花に自由にお持ち帰り下さい」
と書かれた、手作りの看板が立っている。
 そう言えば、この街に住む、私の知っている人は、みんなおおらかで優しい。
 私はいいところで育ったんだな、と思った ──────




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Posted on 2012/10/23 Tue. 00:56 [edit]

category: エッセイ

thread: 雑記 - janre: 日記

ウォーキングの風景  

落柿舎

 今日も嵯峨野を歩いてきた。
 少しずつ嵯峨野は秋色に染まってきていた。
 写真はコースの途中にある落柿舎。芭蕉の弟子の向井去来の草庵。現存している物は明治の頃に再建された物らしい。
 落柿舎という名は、去来の時代には周囲に柿の木がたくさんあって、柿の実を売る約束をしていたのに、台風のため、一夜のうちに全て柿の実が落ちてしまったことに由来するのだそうだ。
 そんなエピソードを庵の名にしてしまったところを見ると、よくは知らないが、向井去来という人は洒落を愛した面白い人だったのかも知れないなと思った。
 元来俳句の世界は乙にすましてるだけじゃなくて、諧謔(かいぎゃく)味がなくちゃだめなのかも知れないが。

 私は俳句を詠んだりするわけではないが、私が住む西京極から嵐山までの河川敷の道をウォーキングをするようになって、風景の中にある、ちょっとした季節の移り変わりや生き物たちを見ることが、以前にも増して楽しい。この道を歩き始めたときには、自生している朝顔に癒されていたが、今はたくさんの秋桜たちが風に揺れて目を和ませてくれている。
 川にはたくさんの川鵜がいる。その川鵜たちが実に楽しい。川鵜ってドジなやつが多いのかなと思う。
 大きな鯉を捕まえて必死に飲み込もうとしてるのだが、なかなか飲めない鵜がいた。長い時間をかけてようやく飲み込んだのだが、明らかに体が重くなりすぎている。普通、体は川面に浮かんでいるはずなのに、体の殆どが水没して、首だけを水面から出して一生懸命泳いでいる。水鳥が水面を進むのを見て、泳いでるなんて見えたことがないが、人間の立ち泳ぎのようにしか見えない。鳥の表情など分からないが、きっとめちゃくちゃ焦ってるんだろうと思うと、おかしくて仕方なかった。
 また別の日のことだが、飛んでいた鵜が着水しようと低空飛行をしていた。すーっときれいな着水を予想して見ていると、足を出すのが早かったらしくて、水についたとたん、足が水に引っかかって、ぼちゃんという感じで前のめりに転んだやつがいた。水中の魚をねらったのではないのは、首を上に上げていたことから明らかだった。

 自然の風景だけでなく、旅行に来ている人たちやそこに住む人たちの様子も、とても優しい気持ちで見るようになった気がする。
 先々週の月曜日に歩いたとき、コース沿いの河川敷の公園で、近くの幼稚園児達が運動会の練習をしていた。組み立て体操の練習だった。まだ幼い子どもたちが、太鼓の音に合わせて一生懸命動いてる様子に、我が子の幼い日の姿が重なって見え、少し目頭が熱くなってあわてた。
 そして今日は公園内のグランドで運動会が行われていた。たくさんのパパやママ、おじいちゃんやおばあちゃんに見てもらって、きっとあの子達は張り切って演技してるんだろうなと思った。

 帰り道、アテネの金メダリスト野口みずき選手と出会った。すれ違ってすぐに、折り返してきた野口選手は私を抜き去り、あっという間に見えなくなった。私とすれ違った地点から折り返しの嵐山までは結構な距離があったが、本当にすぐに追いついてきたのにはびっくりした。
 マラソン界に復帰して9月30日にリスボンでハーフマラソンを走ったと聞いていたが、もう激しい練習を再開しているようだった。自転車で伴走していた男性コーチはロンドンに出場した藤原新選手だったように思ったのだが・・・。これはちょっと自信ない。その男性コーチは「すいません。道を空けてください」と行き交う市民ランナーやウォーカーに声をかけていた。
 走りながらコーチからドリンクボトルを受け取る野口選手の後ろ姿に、コーチと選手の信頼関係が垣間見えた。 
 しかし・・・私が普段のんびり歩いている道を、一流アスリート達が駆け抜けているんだと思うと、なんだか嬉しいような誇らしいような気分になったのは、やっぱり私もミーハーだな。


 もし俳句が詠めたら、きっといい句が浮かぶ風景にたくさん出会ってる。




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Posted on 2012/10/06 Sat. 16:44 [edit]

category: エッセイ

thread: フィットネス・トレーニング - janre: ヘルス・ダイエット

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