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ベース弾きのヒトリゴト的ブログ

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春のライブツアー 第3弾 初の名古屋公演
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最期の偶然  ~親父の逝去~ その1  

 その日、私は東京に住む息子を呼び戻し、妻と娘も連れて、姫路の日赤病院に父を見舞いに来ていた。先週末も私は一人で親父を見舞っていて、2週続けて見舞うつもりは無かったのだが、息子が帰れそうだというので、今のうちに会わせておいた方がいいなと思い、家族4人で見舞ったのだった。
 病室に先に来ていた母や姉も含めて皆で談笑をしているときも親父はずっと昏睡状態だったが、多分聞こえているんだろうと思った。
 息子と娘の就職の内定の報告もできたし、容態も安定しているように見えていたので、とりあえずいったん京都の住まいに戻ろうとしていたときだった。
「今日は、京都に帰られない方がいいと思いますよ」
親父の脈をとっていた若い看護師は唐突にそう言った。


 先週末、私は親父のベッドの横のソファーで一夜を明かした。 日中は普通に親父とも会話ができたし、冗談も言っていた。しかし、夜、部屋の灯りが落ちて眠りについてからは、横に寝ている私を大声を上げて何度も呼んだ。
「今日は知事部局の呼び出しがあるから起こしてくれ」
「今日は入学式だから起こしてくれ」
親父は中学校教師としてその職に没頭していたときに帰っているらしい。
「今日は何も無いよ」
と言っては安心させて寝させるのだが、30分ほどもすれば、またなんだかんだと言って私を呼ぶ。
 あまりに何度も起こされるので、いい加減うんざりして、知らぬふりをして狸寝入りをしていると
「今年の教育実習生は返事もせん!」
と叱られてしまった。これには流石に吹き出してしまい、
「はい、先生申し訳ありません。何でしょうか?」
「お茶を入れてくれ」
「はい。冷たいのでよろしいですか」
と、親父とミニコントを始めてしまった。
 親父が最初の大腸がんの手術を受けたのは5年前になる(過去記事「親父の肩越しの月」「親父の背中」参照)。癌の摘出手術自体は成功したが、そこから様々な病との闘いが始まった。しかし老人性の痴呆にはならなかった。だから親父が見ているのは譫妄(せんもう)状態の中の幻覚で、極度の身体のストレスがそれを引き起こすことがあるのは知っていたので、かなり深刻な状況なのだということは理解できた。
 空が白んでくる頃になると親父はようやく幻覚症状から脱したようで、
「目をつむると、絵巻物みたいにいろんななものが見える」
と表現した。そして部屋を明るくするように私に言った。
 昼過ぎになって、実家の近くに嫁いでいる姉が病院に到着した。姉は親父の介護をこの五年間、一手に引き受けてくれている。私は昨晩のことを面白おかしく姉に報告し、看護を姉と交代して退出しようとしたとき、親父はこういった。
「これでお前も病人の看護の大変さが分かったやろ」
「誰が誰に言うてんねん!」
病室は笑い声で満たされた。親父の照れ隠しを含んだ冗談だ。


 「今日は、京都に帰られない方がいいと思いますよ」
 看護師がそう私たちに告げてから1時間も経たないうちのことだった。先週は冗談も言っていた親父が、静かに、本当に静かに息をひきとった。
「ご家族がみんなお揃いの中、逝かれるなんて本当に希なことなんですよ。ちょっと目を離した隙に逝かれることの方がずっと多いんですよ。」
と、最期の看取りを終えた親父の主治医は、そう言って私たちを慰めてくれた。
 5年間、ずっと親父を看てくれていた主治医が、今日たまたま当直であったことも偶然だし、今日家族が揃っていたことも偶然だった。その偶然に私たちは感謝した。

  そう言えば、今日は父の日だ───

<つづく>



 親父の最期を巡っては様々な偶然が重なった。そのことを何回かに分けて綴ろうと思う。その偶然の連鎖に何事かの意味があると思っているわけでは無いが、それを記しておくことには、少なくとも私たち家族にとっては、いくらか意味のあることになるはずだ。




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Posted on 2017/08/20 Sun. 17:34 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その4 ~完結編~  

 ライブ開始時刻になった。トップ出番は対バンのビシソワーズ・ブンブン。店内はネット広告の効果があって超満員。立ち見さえ出ている。
 ――――となれば最高だったのだが、現実はそんなに甘くない。対バンのお客が一人、WEASEを見に来てくれたのは名古屋に住むS君。つまり、お客は合計2人。過去最低の動員となった(爆)。
 S君は私のベースの師匠と言ってもいい人だった。私は大学生の時になーさんとブルースバンドを組み、そこでベースを弾き始めたのだが、ラインの作り方や弾き方の基礎を教えてくれた。もっとも、彼は口数が多い方ではなく、頻繁に手取り足取り教えてもらったわけでは無いが、憧れの気持ちを持って演奏する姿を眺めたベーシストの一人だった。私が今回のライブに持って行ったのは、最近買ったSchecterのオイルフィニッシュのベースだが、その購入動機には、S君が当時持っていたのがオイルフィニッシュのベースで、気持ちのどこかでそのタイプのベースに憧れを持っていたことが含まれるのは間違いないと思う。(過去記事「衝動買い」)S君自身はエレキベースからウッドベースに転向し、大学の後半は大学の管弦楽部に所属していた。
 また、なーさんは高校時代はフォークを中心にやっていて、高校時代からブルースをやっていたS君からブルース特有のテンションコードをいろいろ教わった。
 そのS君が来てくれると聞いて、私は内心「師匠に恥ずかしいものは見せられない」と張り切っていたのだが、なかなか現れずやきもきしていた。そして対バンのステージの途中、当時と変わらぬ笑顔で彼がライブハウスに入ってきたときは本当に嬉しかった。
 互いに近況報告をしあった。現在も名古屋市の市民オーケストラで演奏活動を続けているそうだ。息子さんはチェリストになりドイツへ単身音楽留学中。すでに日本でも知られる音楽家となり、東京や名古屋の大きなオーケストラにゲストとして招かれるまでになっているそうだ。
「チェロか~。やっぱり低音、好きなんやなぁ」
と言ったとき
「そうみたいやなぁ。低音、好きみたい」
と少し照れくさそうに笑った目には、息子を誇らしく思うと同時に、息子に影響を与えることのできた親として、そしてベーシストとしての誇らしさも含まれているのが感じられて、なんだか私まで嬉しくなってしまった。

 いよいよ、WEASEの出番が始まった。客席にいるのはたった二人のお客と対バンのメンバーだけだったが、始まってしまえばそんなことは関係なかった。
 1曲目は新曲「JungleJungle」。ジャングルビート(ベニー・グッドマンの名曲「Sing Sing Sing」を代表とする、アフリカンな感じのビート)の激しい曲。なーさんが曲を書き、久しぶりにまこチャンが詞を書いた。この曲ができるのには、ちょっと不思議な経緯があって、新曲はどんな感じで書こうというミーティングで、やまさんもなーさんもJungle Beatの曲のイメージを持ってきていたという不思議なシンクロが起こった。
 やまさんが刻む多彩かつ熱いリズム、なーさんのドラマチックなギター、アドレナリンが放出し始めているまこちゃんの野太いボーカル。慣れ親しんだメンバーの音に包まれ、意識は音楽に吸い込まれて同化していく。同時に冷静さも失わずにいられて
「ん?ベースの音が小さいな。やっぱり本番になるとリハ通りには行かないな」
と思ったが、手元のボリュームはフルに近い。アンプをいじるしかない。しかし開始三曲はメドレー的に間髪入れず進めることになっていて、アンプをいじる暇は無い。私は指先に力を込めて演奏を続けた。
 曲が終わると同時になーさんのソロギターが「フクロノネズミ」へと導いていく。この曲はこのブログでその制作過程を公開した曲で、私が提案した当初は軽めの4ビート系の曲だったのだが、ハーフシャッフル系の激しいブルースロックに大変貌を遂げた曲。私がWEASEのバンド力を最も感じた曲の一つだ。(フクロノネズミ制作記
 息つく間もなく「307号室」。これまた激し目のハードロック。ロックバンドと評されることの増えてきたWEASEだが、実は典型的な8ビートのロックは少なくて、その数少ない8ビート曲の一つ。
 ふと客席に目をやると、S君は椅子から転げ落ちそうなくらいに身体を揺らして楽しんでくれている。曲が終わると同時に対バンのメンバーたちが、甲高い声で声援を送ってくれた。

 次の曲に入る前に音響設定。実はリハーサルでは起こらなかったハウリングに見舞われていて、その調整に少し時間がかかってしまった。その時間を利用してベースアンプのボリュームを少し上げた。

MAH00021 (4) - コピー 気を取り直し4曲目の「空き缶」。スローでマイナーのレゲエテイストの濃い曲。この曲の詞は、夜明け近い街をふらふら千鳥足で歩くボーカルのまこちゃんをイメージして書いたもので
「まこちゃんへのラブレターやで」
と打ち明けたとき、まこちゃんはめちゃめちゃ照れた。割と初期の曲で、ステージにかけるのはずいぶん久しぶりだ。この曲をやるとき、やまさんはドラムに様々なパーカッション楽器を加えて演奏する。音源を聞くと、ドラムセットと各種パーカッション楽器のひとつひとつが、独立したタイム感で刻まれていて、とても一人の演奏者が演奏しているとは思えない。やまさんの巧さは知っていたが、その凄みを最初に感じた曲だ。
 5曲目はJazzyな曲調の「八月の夜」。3拍子の曲なのだが、所々に5拍子や4拍子が挟まれるという、少しだけトリッキーな曲。さりげなく入れるので、そんなトリックに気づくお客は多分いないと思っていたがS君は気づいていて、ライブ後にこの曲の面白さを褒めてくれた。そしてこうした変拍子の曲はWEASEに合っている、どんどんやって欲しいとまで言ってくれた。
 6曲目は跳ねた感じのロック「I am your son」。曲調とは裏腹に歌詞は親の介護を歌っている。なーさんが、先日他界したお父さんの介護に腐心していたときに、アルツハイマーを発症した親御さんの介護に苦労している知人に心を寄せて書いた。我々は皆介護世代。この曲をやるとき思いは様々に巡る。私の父も終末期医療の治療を受けている。少し熱くなって普段やらないことをいろいろやってしまった。ちょっとやり過ぎたかなと思っていたが、事後に音源を聴いたなーさんがかっこいいと褒めてくれたのでホッとした。
 6曲が終わり、ここではじめてまこちゃんのMC。前回書いた、動画再生回数に引っかけて
「今日は3000人入る予定やったんやけど・・・」
と言うと客席から
「3000人いるよ」
とツッコミが入り、
「ほんま?そしたらもうちょっとがんばろ」
と応えたのは笑った。
 7曲目は明るく軽いレゲエテイストの「ひまわり」。バンド活動の初期にまこちゃんが詞を書き、私がロックンロールな曲をつけたがボツとなった。でも私はまこちゃんの、普通ひまわりと言えば明るい太陽光をイメージするのに「闇に咲くひまわりが教えてくれる」という不可思議な歌詞が気に入っていて、なーさんに別の曲をつけて欲しいとリクエストし、めでたく歌詞が復活した曲。
 8曲目はブルース曲「主」。この曲はしばらくやっていなかった、というかまずやることはもう無いと思っていた曲。私となーさんが共作した歌詞の内容がまこちゃんの生き様にそぐわず、歌うのは照れくさいと言ったからだ。
 しかし、私やなーさんのブルースの師匠のS君が来てくれると聞き、直前になって
「それならやらんとあかんやろ」
とまこちゃんの提案で今回のセットリストに載った。ライブの後でまこちゃんは
「なんかふっきれたわ。これからも『主』はやろう。やっぱりええもんはええわ。」
と言ってくれたのは嬉しかった。
 9曲目は「タメイキトウソ」。この曲はベースがスラップで弾きまくる曲で、前回書いたブラジルのベース弾きが褒めてくれた曲だ。この曲をやり始めたときは、間奏でギターとベースとドラムのソロ回しがあったが、まこちゃんが「曲がダレる」と言ってギターソロだけになっていた。しかし、これもライブ直前にまこちゃんの提案でソロ回しをやることになった。
 なんだか書き様がまこちゃんに振り回されているように感じられるかもしれないが、全くそんなことは無い。私たちはバンドの舵取りはまこちゃんに全幅の信頼感を持って託している。まこちゃんのこだわりが、ステージを見た人から「かっこいい」と言われるバンドに育て来たと思っているからだ。結成間もない頃、同じライブに出た対バンと比べてバンド力で完敗してると感じた、昔のWEASEの姿ではもう無いと、胸を張って思えるのはまこちゃんのこだわりのおかげだと、最近さらに強く感じている。
 なーさんのギターソロは相変わらず熱くてかっこいい。一発で曲をぐっと盛り上げる。
 私はソロ部分の練習不足もあったのに、張り切りすぎた感が拭えない演奏になってしまい、なーさんは褒めてくれたが、自分自身はかなり悔しさが残る。
 歌感たっぷりのやまさんのソロが終わり、リフの後、まこちゃんのブルースハープで曲をしめた。
 まこちゃんは歌もハープもどんどんかっこよくなっている。そう言うと
「オレは全然や」
と決まってそう答えるが、これはまこチャンを除く3人共に一致した意見。やっぱり歌バンはボーカリストがかっこよくないと話にならない。WEASEが「かっこいいバンド」に成長してきているのは、言うまでも無くまこちゃんの進歩によるところも大きい。 
 10曲目は、「Go! Go! Go!」。まこチャンが若かりし日にやっていたパンクロックの匂いが漂うちょっとスリリングな曲だ。アラビア風リフのギターとベースのオクターブユニゾンもバッチリ決まった。
 アンコールは「夜が叫んでる」。これもステージにかけるのは久しぶり。WEASEが最初に作った曲で全てはここから始まったと言える曲。
 

 全11曲。アマチュアの対バンライブやフェス系のイベントは、1バンド30~40分が相場で、こんなにたくさんやれることはまず無い。ミスもあったがめちゃくちゃ楽しいライブとなった。ライブハウスのマスターからも
「よくまとまったいいバンドだね。次はもっとお客が呼べるようにブッキングをするから、これに懲りずにまた出てね。それにフェスは名古屋にもある。それにも挑戦してみたらどう?」
と言ってもらった。年に一度は名古屋ライブもいいなぁ。

 私たちの満足感はハンパなかった。それはライブ後立ち寄った地元民が集まる居酒屋での表情を見てもらえれば一目瞭然だろう。

<了>


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Posted on 2017/06/17 Sat. 13:35 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その3 ~名古屋城見物・ネットの力~  

IMG_2957 ライブ当日の朝、せっかく来たのだからと我々は名古屋城見物をした。
 考えてみれば、ライブの後の打ち上げや練習の後の打ち合わせで飲むことはあっても、メンバー全員で観光をするなどといった音楽活動と全く関係ないことで遊ぶのは初めてのことで気分は浮き立った。
 ましてや天気は最高で、否応なくテンションは上がり続けた。抜けるような青空を背景に金色に輝くしゃちほこを頂いた天守閣が、文字通り「天晴れ」な佇まいでそびえ立っているのを見た瞬間、我々はまるで田舎のおっさんの慰安旅行のように
「キンノシャチホコ~!」
と大声を上げてはしゃいだ。

IMG_2962 また、運のよいことに名古屋城は本丸御殿の木造復元工事の真っ最中で、御殿をすっぽおりおおう巨大なプレハブの内部に見学用の足場が組まれ、見下ろすような視点で自由に見学できる。安全ヘルメットの着用が義務づけられていて、大工が本業のまこちゃんはやっぱり似合っていた。
 珍しい体験に皆興奮したが、まこちゃんは目つきが変わり食い入るように眺めていた。そして
「宮大工はやっぱりすごいわ~」
としきりに感嘆の声をあげていた。きっと我々には見えないことが見えているんだろう。

IMG_2963 城見物を終え、直前リハーサルをするために我々はライブハウスに向かった。
 店の前には昨日は見かけなかったライブの告知看板が出ていて、それにはFacebookやバンドのホームページのために作った画像が使われていた。マスターの粋な計らいに4人とも感激し、記念にと皆シャッターを切っていた。
 店内に入ると、既に対バンのビシソワーズ・ブンブンのメンバーは到着していた。普段はピアノ&ギターボーカルのデュオらしいが、今日はベースとドラムのサポートメンバーを加えてやるそうだ(ドラムはライブハウスのマスター)。70年代にヒットしたエリック・カルメンのコピーをやると聞いていて、どんな感じだろうと楽しみにしてたのだが、なかなか爽やかなサウンドを奏でている。
IMG_2964 彼らのリハが終わった後の女性ピアニストの様子がなんだかおかしい。よく見るとどうやら泣いている。聞けば、今回が初ライブに近いのだそうで、緊張のあまり泣き出してしまったらしい。若いギタリストが懸命に励ましている。
 昔、私がやまさんと組んでいたバンドの女性ボーカリストが、彼女の通っている大学の学祭のメインステージに出ることになって、緊張で泣き出してしまい部屋に閉じこもって出てこなくなったという事件を思い出して、私は微笑ましい思いで彼らを眺めていた。
 私たちは夕べ一通りのリハをしているので、簡単なサウンドチェックをするだけにとどめた。
 リハの合間に、この店の人気メニューだと聞いてた名古屋名物のあんかけスパゲティを頂いた。あんかけスパゲティは初体験で、長崎の皿うどんのような見た目を想像していたのだが全く違っていた。スープスパゲティのスープに軽くとろみをつけてあるといった感じで、ブラックペッパーがよく効いててとても旨かった。人気なのもうなずけた。
 パスタと言わずにスパゲティと呼ぶのもなんだか納得だった。庶民の味って感じで、気取らない名古屋の風土をよく表してる気がした。
 開店前だというのにわがままを聞いて作ってくださったマスターや奥様に感謝しながら、私は舌鼓を打ち続けた。夕べの手羽先や味噌カツと並んで、ウワサに聞く名古屋飯のレベルの高さに驚くばかりだった。

ad1 腹も膨れたし、リハも済んだし準備万端。後はどれだけお客が入ってくれるかだなと思った。
 実はこのライブに向けて、私はFacebook上にライブ当日(5月28日)までの期間限定で広告を2本出していた。Facebookの広告は安価な割によくできていて、わずか数千円でユーザーの趣味嗜好や地域などを絞り込んだターゲット指定をした広告が打てる。全く知名度の無い我々を出演させてくれるライブハウスの売り上げに少しでも貢献できればと思ったのと、やはりお客は多い方が嬉しいので、初めて広告を出すことにしたのだった。
 その広告は予想以上の反響があり、動画再生回数は3500回を超えた。もちろん広告はFacebookを閲覧していると自動で流れるので3500回と言っても驚くことでは無いのだろうが、通常音声OFFで流れる広告に興味を持ち、音声をONにしてくれた方が2000人以上もあったのにはおどろいた。(広告データの詳細について参考にされたい方は画像をクリックしてみてください。拡大します)
ad2 「いいね」は数こそ少なかったが、今までは無かった全く知らない方の「いいね」がちらほらと届き、さらに驚くべきことに、広告の表示地域は名古屋と我々の居住区を指定したにもかかわらず世界中で流れたようで、アジアやイスラム圏、南米からも「いいね」が届いた。嬉しかったのはブラジルに住むベース弾きが「Nice bassline(※ベースライン…ベースが奏でる旋律)」とコメントをくれたことだった。 夕べホテルでスマートフォンを使ってチェックしていて見つけたときは、めちゃくちゃテンションが上がった。「THANKS!」と返信するとすぐさま「いいね」が返ってきた。ネットってすげえなあって改めて思った。―――広告に使った動画は大宮グッドフェスティバル2017でやった「タメイキトウソ」。広告では無いですがこのブログにもその動画は貼ってあるので、よかったら見てやってください。PCは左サイドバー内、スマホはMENU→VIDEO―――
 
 後数時間でいよいよ本番。
 どんな感じになるか、わくわくが止まらない。

<つづく>


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Posted on 2017/06/12 Mon. 22:21 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その2 ~列車旅と名古屋飯、そしてリハーサル~  

 家にいても朝の事故のことで気分が滅入ってくるので、私は予定より少し早く出発した。
 京都駅でJRに乗り換え大津駅でいったん下車して、大津の街に住むなーさん(ギター)や、後からくる列車に乗っているまこちゃん(ボーカル)を待った。
 駅のホームは琵琶湖から吹いてくる風が心地よくて、落ちていた気持ちがだんだんと旅気分へと変わっていった。
 なーさんやまこちゃんと乗った列車に、近江八幡の駅で最後にやまさん(ドラム)が乗車し、無事、全員がJRの車内で合流できたのは午後7時30分を過ぎていた。
 当初は米原駅で新幹線に乗り換える案もあったが、待ち時間を考えると新快速で行っても対して変わらないことが分かり、皆、金のないこともあって在来線での旅となった。
 列車の旅ということでテンションが上がったおっさんたちは、無邪気にはしゃいだ。長年付き合っているのに私は知らなかったのだが、なーさんが意外に鉄ちゃんでいろいろな鉄道に関する豆知識を披露した。
 4人揃ったら車内でビールで乾杯・・・・の予定だったが、米原での乗り換えが慌ただしくて買い込むタイミングを逸し、空腹を感じ始めたおっさん4人の口数はだんだん少なくなっていった。
 時折口を開くと話題は名古屋飯のことばかりになり、味噌カツ、名古屋コーチンの手羽先、きしめん、エビフライ――挙げ句の果ては明日の朝の豪華な名古屋モーニングのことにいたり・・・・その話も一通り済むと、後は所在ない時間が過ぎていった。
 スマホの画面を見ていたまこちゃんが、
「あかん。こんなもん見てたらなんか腹立ってきた」
と怒っている。画面を覗くと「名古屋飯」の文字といくつかの料理写真。空腹の頂点に達したらしい。
 なーさんは停車時間が少し長い駅で「ダメ元で」と言い残し列車から降り、アルコールを求めてさまよっている。
 やまさんは――寝てたかな。きっとあれはふて寝だ。
 私はと言えば、妻が「おいなりさんあるよ。」と勧めてくれ、出がけに一つだけつまんだ小ぶりのいなり寿司の味が口の中に蘇っていた。もっと食ってくればよかった。

 名古屋駅に着いたのは9時を少し回っていた。駅前のビジネスホテルでチェックインを済ませ、駅前通りに出た。旨そうな酒場が軒を連ねていたが、食事の後はライブ会場に行ってリハーサルがある。空腹のおっさんたちが居酒屋に入ってしまえば腰が落ち着いてしまうのは必至なので、涙をのんで駅ビル内の「うまいもん通り」にある名古屋飯が食べられる店に入った。
 フードコートに毛が生えた程度の店だったが、とりあえず皆でシェアした手羽先の唐揚げは絶品だった。余分な脂は抜けているのに肉はジューシーで軟らかい。表面はパリパリに揚げられて名古屋風の甘辛い味付けが施されている。生ビールとの相性は抜群だった。
 4人とも「旨いなあ」以外の言葉はどこかに落としてしまったらしい。ビールを飲んでは「旨いなあ」、手羽先かじっては「旨いなあ」。ことによるとうっすら涙ぐんでたかもしれない。
 私は正直なところ、手羽先は得意な方では無く、脂が多すぎると思っていたのだが全くそんなことは無くて、空腹の味付けもあって、これなら何本でも食えるなと思った。
 ジョッキを1杯(他の3人は既に2杯(笑))空けたちょうどいいタイミングで出てきたのは、味噌チキンカツ定食。(定番はとんかつなのだろうが、入った店は鶏屋だった)味噌で味付けされた名古屋コーチンのカツがご飯によく合って、大盛りご飯もペロリと平らげた。
 食後、明日のライブ会場となるライブハウス”LIVE SONGS”に向かうために乗ったタクシーの運転手は、偶然にも昔東京や名古屋を中心に活動していたバンドマンで、栄にあるライブハウスに着くまで、大先輩が活躍した当時の音楽シーンの興味深い話をたくさん聞くことができた。
名古屋ツアー_1 着いたライブハウスはステージこそ多少手狭な感じがあったが、とても感じのいい店構えで、待ってくださっていたマスターやマスターの奥様もとても素敵な方たちだった。
 マスターはドラマーで昔は近畿圏在住だったそうだ。なーさんとは20年ぐらい前に一緒に演ったこともあるらしい。ライブイベントでは私も出会ってるらしいのだが、失礼なことに全く記憶に無かった(汗)。
 セッティングを済ませいよいよリハが始まったのは、11時近かったろうか。
 ベースアンプはYAMAHA社製のもので、昔よく練習スタジオで見かけたものだった。実はそのアンプはギンギンの音がしてあまり好きなものでは無く、内心「アラララ・・・」って感じだったのだが、持って行ってたSchecterのベースとのマッチングがいいのか、実に素直な音がしてテンションが上がった。ダイナミックレンジも広くて、ちょっとしたタッチの違いも敏感に反応してくれる。音の出し入れは容易そうだった。
 音作りに時間がかかるかなと思ってたのだが、アンプ側のイコライザーはフラットにしておけば、後は使い慣れたエフェクターを少し調整するだけで済んだ。
 何曲か演奏し、バンド全体のボリュームバランスを確認してリハーサルは終わった。時計の針は既に日付が変わったことを告げている。
 マスターと奥様に、遅くまで付き合って頂いたことに感謝申し上げ、私たちはホテルに戻った。ホテルの近くのコンビニで酒とつまみを買い込んだが、やまさん(ドラム)は日頃の疲れが溜まっているのだろう、割と早い段階で寝てしまった。私も昼間の事故の件もあってクタクタで、2時過ぎには眠りに落ちた。タフなまこちゃんやなーさんは明け方まで飲んでたらしい。

<つづく>


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Posted on 2017/06/04 Sun. 00:34 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その1 ~事故った~  

 名古屋ライブに向けての、前日乗り込みの土曜日の朝。仕事上の用事で、土曜日の郵便の取り扱いをしている自宅近くの大きな郵便局へ行った、その帰り道。信号の無い交差点に入った瞬間 ――――
 左から猛スピードで銀色の車が突然現れた。ブレーキを踏んだが間に合わず・・・・。いわゆる「出会い頭の事故」を起こしてしまった。不幸中の幸いというか、相手方の運転手は温厚そうな青年で、また、双方共に身体に異常は無くて物損事故として処理をすべく、警察に通報した。
 頭の中で保険屋を通して事故処理をする図を構築しながら、私は遠のいていく名古屋ライブのことばかり考えていた。
 名古屋へはメンバー全員と機材を積んで、私の車で行く予定なのだ。出発は土曜日出勤をしているメンバーの勤務終了を待ってからなので夕刻の予定なのだが、面倒くさいことになると出発できない可能性は否定できない。
「前回の東近江(過去記事「失神」参照)といい今日といい、ライブの前日に何でこうもトラブルが起きるんやろ」
と、どんくさい自分にムカッ腹を立てながら、到着した警官に状況説明をした。
 物損事故なので現場での事故処理はごく短時間で済み、後は双方で示談交渉を進めてくださいと言い残して警官は去った。
 連絡先を交換し、保険屋を通して話すことを確認して相手の運転手と分かれた。
 話は簡単についたので、どうやら名古屋へは行けそうだ。
 ホッとして改めて車の破損状況を確認すると、とりあえずの走行には支障なさそうだが、左前輪のフェンダーが大きくへこみ、段差に乗るとおそらくタイヤとフェンダーが接触する。なんとか手で引っ張り出してみたが、完全にタイヤをカバーするまでには戻らず、それ以上引っ張るとフェンダーが外れてしまいかねないような「バキバキ」という音がする。
 いったん自宅に戻り、開店時間に合わせてディーラーに行った。修理は今すぐは無理だろうが、今夕車が必要な事情を話し、応急処置的にフェンダーを引っ張り出してくれるよう依頼した。
 待つこと10数分。作業を終えたサービスマンは気の毒そうな顔をしながら
「とりあえず出してみましたが、フェンダーのことよりも若干車軸が変形しているかもしれません。走って走れないことは無いかもしれませんが、高速道路の長距離はできたら避けた方が無難です。」
と言った。
 車軸が変形してる!?「できたら」なんてレベルじゃ無い。大切な仲間たちを積んでそんなリスクは犯せない。

 自宅に戻り、事故を起こしてしまったこと、車を出せなくなってしまったことを仲間たちにLINEで伝えた。
 メンバーたちは誰一人として私のどんくささを笑うことは無く、心配をし身体が無事なことを喜んでくれた。代わりに車を出してくれるように頼んでみたが、軽自動車だったり小型車だったりして、機材を積んで長距離ドライブは難しいことが分かり、結局列車で行こうということになった。
 面倒なことになったことをわびると、「列車旅は好きだから」と言って皆で慰めてくれた。 
 昼過ぎ、パートから戻った妻に事故ったことを報告した。怒られるかと思ったが、「列車の方がかえって安心だ」とか、「飲めるね」などと優しい言葉をかけてくれた。

 私の周囲にいる人々は皆優しい――

<つづく>    


     



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Posted on 2017/06/02 Fri. 23:07 [edit]

category: エッセイ

佳き休日  

 今日は休日だったが、早起きした――――
 というか、休日だからといって長く寝てられる歳じゃ無くなったといった方が正確だ。
 キャベツと卵を炒めてカレー風味に仕上げ、トーストにのせた。濃く抽出したコーヒーには氷をたっぷり入れた。妻は早朝からパートに出かけているので、一人のゆったりした時間を楽しみながら、朝食を摂った。
 食後の一服をしているとき、居間の横にある洗面所兼脱衣所に目をやると、洗濯物が目につき、天気もいいし洗濯をすることにした。洗濯をして部屋の掃除をすれば9時半を待つのにちょうどいい。
 9時半を待っているのは1月からジム通いを始めたからで、オープンするのがその時間なのだ。(通うと言っても週末に行くのが精一杯で、週に1~2回。4月は多忙でほとんど行けていない)
 洗濯や掃除を終えジムに着くと、すでにたくさんの人たちがマシンに取り組んでいた。
 ストレッチを軽くこなして10種類ほどの筋力トレーニング。仕上げに併設されているプールで軽く泳いで有酸素運動、というコースをメニューにしている。
 マシンの負荷を少しずつ上げられてきていることを喜んだあと、小さな決意を胸に水着に着替えた。
「クロールで連続1km」
これが目下の目標で、今日こそ達成しようと思っていたのだった。
 学生時分、私は水泳部に所属していた。とはいっても決して速い選手ではなく、競泳というより遊泳に近い活動だった。当時の専門はブレスト(平泳ぎ)とバタフライだった(自由型では到底試合にならなかった)。
 現在はご多分に漏れず加齢により肩の可動域が狭くなっていて、バタフライは危険すぎるのでやらない。バックも肩が痛くて難しい。ブレストは流石にちゃんと泳げる(今の選手がやっているような腕のリカバリを水からあげてしまうような泳法では無い)が、好きな泳ぎは本当はクロール。なのに驚くほど息が続かないのだ。筋力は昔ほど無く肩も痛いくせに、泳いでいるとどうしてもピッチが速くなり、「ゆったり力を抜いて泳ぐ」という簡単なことができずにいた。
 力を抜いてさえいれば永遠に泳いでいられる、と思ったのは遠い昔日の話になっていて、喫煙の悪習もあるせいか1kmが信じられないほど遠く、ずっと歯がゆい思いをしていたのだった。
 それでも、通っている効果は徐々に出始めていて、ここ数回はずいぶん力が抜けてきているのを感じていた。
 プールサイドに出てみると、この時間は子どもたちのためのスイミングスクールが開かれていて、自由に泳げるコースは1コースしかなかった。だが、そのコースを使っているのは二人ほどの高齢のご婦人がいるだけで、幸運なことにお二人とも25mずつ刻んでゆっくり泳いでおられる。そういう方たちは、連続で泳いでいる人がいると端壁(飛び込み台のところやその反対側)で立って、追い抜くのを待ってくださる。
 「今日しかないぞ」
と改めて胸に誓い、水に入った。ウォーミングアップは既に筋トレマシンで済んでいる。壁を蹴ってゆっくりスタートした。
「水は軽いし息も楽だ。これなら行ける。」
500mほど泳いだあたりで、少しずつ人が増えてきて、男性も泳ぎ始めたようだった。でも、泳ぎながらうまく私をかわして抜き去っていってくれるので安心して泳ぎ続けることができた。通い始めた頃はこれができず、背後に泳いでいる人がいるのを感じると、ついムキになってピッチを上げてしまい、結局息が続かなくなっていた。

 今は初心者なんだ

そのことをどうしても認められずにいたのだった。
 600m,700m,と距離が伸びても全く疲れを感じない。目標達成を確信した。975mの最後のターンを終えて、最後の25mはスパートしようかと一瞬思ったが、やめた。ペースを守ることの方が価値があるように思えたからだ。
 1km完泳。
 足を着いて水から顔を上げたとき、まだまだいけそうだと感じた。息も少しも上がっていない。「永遠に泳げる感じ」が少しだけ蘇ったのが嬉しかった。それでも肩の辺りはぽかぽかと熱い。肩凝りで流れにくくなっていた血管が一気に開放され、血が流れ出しているようだった。嬉しく思うと同時に、痛みはないが無理は禁物かなとも思った。でも、1kmは無理な距離じゃなくなった。
 意気揚々と水から上がり、風呂場へと向かいシャワーの温度を少し下げて浴びた。冷たさが火照った体に心地よい。
 ジムを出て、自宅近くの喫茶で軽い昼食を済ませ、帰宅した。
 少し休憩を取った後、庭木の剪定に取りかかった。
花壇と源1 うちの庭(といっても小さな花壇と駐車スペースしか無いが)には、妻の趣味で花壇に雑多な草木が所狭しと植えられている。種類が多いだけに、手入れをまめにしないとすぐ雑然とした印象になってしまうのだが、ここのところの陽気で植木も草も伸び放題に伸びている。普段その剪定は妻がするのだが、夕刻まで帰らない妻を驚かせてやろうと剪刀はさみを手にした。
 飼い猫の源に長めのリードをつけて自由に遊ばせながら、鼻歌交じりに作業を進めた。源は花壇の草の中を探検するのが好きで、ずっとごそごそやっている。時折、パチンパチンと剪刀を振るう私をきょとんとした目で見上げている。
「なんやぁ?不思議かぁ?」
花壇と源2声をかけると、「クルルル」といった感じの、声にもならない小さなかわいらしい声を喉で鳴らして、またごそごそと草の中に姿を隠す。
 和庭園ではないので剪定と言ってもきれいに形よく刈り込むわけでは無く、なるべく自然な感じで仕上げることを心がけた。シンボルツリーにしているハナミズキの枝を刈るときには、妻の思いと違ったらどうしようかと少し躊躇したが、下の方の枝を思い切って払った。
 剪定作業を終え、足元に散らばった枝葉を掃き集めゴミ袋に入れて、たばこに火をつけた。すっきりした庭を眺めて一人悦に入ってると

き休日

ということばが浮かんだ。「佳き」という漢字がぴったりな、ちょっといい日だな、そんなことをぼんやり考えてたら源が「ニャア」と声をあげた。そろそろ家に入りたいらしい。



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Posted on 2017/05/21 Sun. 07:38 [edit]

category: エッセイ

失神  

遅くなりましたが、4月22日のびわこジャズ東近江2017に関連する記事です。
しかし、「観客に失神者が出た」とかそんな話ではもちろんなく、かなり残念な話です。

 びわこジャズ東近江2017の前日。東近江の地に前乗りし、昨年も泊まった安い温泉宿で前夜祭と称する宴会を開いた。参加者はバンドメンバーのみ。

 その日私は朝から仕事で、夕刻からはどうしても抜けることのできない職場の親睦行事に参加しなければならなかった。東近江まで車で行く必要があるので親睦行事でアルコールを飲むわけにはいかず、「ビールなしの焼き肉」という過酷な精神修養を強いられる羽目になった。早めの途中退出をしたが時間はひどく長く感じた。
 いったん家に戻りアンプやベースを積み込み、同じく仕事が長引いたボーカルの宇野氏を彼の自宅でピックアップして高速をひた走り、宿に着いたのは23時近かった。
 手早く温泉につかり、仲間たちが待つ宴席についた私は、腹こそ焼き肉で満たされていたが喉がアルコールを渇望していた。
 ビールを何本か開けた後、お待ちかねのドラムの山中氏手製の鮒寿司が皿に盛られた。(※鮒寿司――琵琶湖沿岸の家々で古来より作り続けられている、滋賀県の名物。琵琶湖に棲む大型の鮒に、米を詰めて塩に漬け込むなれ寿司。独特の香りがある。)山中氏は奥方の父上に教えを請うて、鮒寿司作りに初挑戦した。初めて漬けたとは思えない鮒寿司を肴に、これまた山中氏持参の近江の地酒に舌鼓を打った。
 翌日が楽しみにしていたライブ。そして誰と飲むより楽しいバンドメンバーと囲む宴席。それでつい飲み過ぎたのか、連日のハードワークがたたったのか――
 用を足しに立って、板の間に出た途端私の視界はブラックアウトした。一部始終を見ていた仲間たちの言によれば、まるで切り倒された木がゆっくり倒れるかのように、私は直立姿勢のまま前のめりに倒れたそうだ。
 強い「ガン」という衝撃で意識はすぐに戻り、前歯を爆発的な激痛が襲った。
「あかん、マジやマジや」
という仲間たちの声と駆け寄ってくる気配――。口内に広がる鉄臭い血の味――。腫れた唇
 意識がはっきりしてくるにつれ、歯が折れたかと心配になり、指で確認したがどうやら無事のようだった。少しぐらつくような気もするがたいしたことはなさそうだ。出血は上唇だけで済んでるようだった。 
「大丈夫大丈夫」
 心配してくれるメンバーたちにそう応え、タオルを濡らすために洗面所へ向かった。冷やさないと明日の本番、とんでもなく腫れた顔でステージに立たなくてはならなくなると心配したのだった。
 しばらく冷やしても痛みは相変わらずで、もうそれ以上飲む気にもなれず、床を延べてもらい私は一足先に眠った
 翌朝、冷やしたのが効いたのか、思ったより腫れはたいしたことなく、口髭のおかげで傍目には分からない程度で済んだ。

 そして本番。
 多忙を言い訳にした練習不足と前夜のハプニングがたたり、私自身の演奏は決して満足できる状態に無かった。
「客前に立てるレベルや無いがな」
そう私は独りごちた。
節制を考えなければならない歳になってる――
そのことを痛感した、春ライブ第1弾となってしまった。
(リベンジを誓った5月4日の大宮グッドフェスティバル2017の模様は、左の動画をご覧あれ。※スマホ等で閲覧の方はMENU→LIVE VIDEO.)

※写真は後日自宅にて撮影。困り顔が我ながら腹立つ!(^_^;)




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Posted on 2017/05/13 Sat. 21:06 [edit]

category: エッセイ

日本バスケットボール協会のお偉いさんへ  

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 先日、妻とプロバスケの試合を見に行ってきた。京都ハンナリーズ対琉球ゴールデンキングスのカード。
 妻はバスケの家庭婦人リーグに所属しているチームでずっとプレイを続けていて、熱心なバスケットファンなのだが、私自身はバスケットにはあまり興味がなかった。しかしプロ化したバスケットに最近興味を持ち始めていて、京都ハンナリーズのホームアリーナが住まいのすぐそばにあるのだし、一度見てみようと思い立ったのだ。
 調べてみるとチケットはオフィシャルブースタークラブ(公式ファンクラブ。バスケットはファンのことをブースターと呼ぶらしい)に入会して入会特典のチケットを手に入れる方が安く、そのチケットを持って会場に入った。
 客席は8割方埋まっていて、会場は熱気に包まれていた。
 私の席はゴール下のアリーナ席だったので迫力満点。ハンナリーズがずっと押され気味の試合だったが、ハンナリーズが特別好きって訳でもないのでゲームそのものはとても楽しむことができた。
 しかし、である。ずっと私は違和感を抱えたままだった。バスケットはゴールに向かってショットを打つたびに、攻守が交代する。オフェンス時はブースターたちが
「GO!GO!ハンナリーズ!GO!GO!ハンナリーズ!」
の大合唱をし、ディフェンス時は
「ディーフェンス!ディーフェンス!」
と大合唱をする。「それも言うなら”ディーフェンド!”やろ」と大人げないツッコミを入れたいわけではない。私の違和感は、その合唱がオフィシャルMCのマイクパフォーマンスの先導の元にあるという点だ。
 ブースターたちが自発的にする分には、当たり前のことだと思うが、会場には沖縄のチームブースターたちも少ないながらいる。彼らの声援は体育館中に響く大音量のMCにかき消され、きっと選手たちには届かないに違いない。
 これはちょっと変だなぁと思っていたが、盛り上げようと頑張っているんだなと、はじめは私も好意的に見ようとしていた。
 しかし違和感の極めつきがあり、私の感情は違和感から怒りに近いものに変わった。それは天井につるされたビジョンいっぱいに映し出される「ノイズメーター」なる映像だ。
 ハンナリーズにファールがあってゴールデンキングスにフリースローが与えられると、「Booooo!」と大ブーイングがショットが終わるまで体育館を包む。その間、ビジョンに映されている、車のタコメーターのような「ノイズメーター」の針が動き、「レッドゾーンを目指して、もっともっと!」という感じでブーイングをあおるのだ。
 ブーイングはいわば野次の一種であることは誰も異論がないだろう。あまり上品なものではない。しかし贔屓チームのピンチの時に観客がブーイングをするのは、どのスポーツであっても最近は珍しいことではなくなっているのは知っている。
 だがそれをオフィシャルにあおるようなことは、どこもやっていないはずだ。むしろ選手やチームからは喜ばれない行為だと私は思っている。
 会場には、ミニバスケットをやっている小学生たちや、学校のクラブでバスケットをやっている子たちもたくさん来ていると思う。彼らはきっと野次ったりブーイングしたりすると監督やコーチからは厳しく叱責を受けていると思う。高校生の時に部活でバスケをしていた娘に聞いてみたが、やっぱり野次った子は叱られてたそうだ。
 プロバスケの会場は、バスケットに情熱を燃やしている子どもたちを教育し、彼らが憧れる空間であるべきだと思う。その子たちの目の前で、こんな愚かしい行為をオフィシャルにする感覚が、私には信じられない。
 プロ化間もない日本のバスケ界。盛り上げたい気持ちはよくわかる。確かにピリオド間やタイムがかかるごとにチアガールたちが登場し切れのある演技を披露したり、会場をMCやマスコットキャラクターが回り、客席とコミュニケーションを図っていたりと、いろいろな工夫をしているのはよくわかったし、微笑ましい場面もいくつもあった。もちろん選手たちの熱いプレイは胸を打ち、私も何度も声援を送った。

 しかし、スポーツマンシップに反するような盛り上げ方はどう考えてもおかしい。おそらく選手たちもそう感じているはずだ。

 会場を見渡してみると、客席の最後方、二階席の上の方で静かに見ている観客はたくさんいた。きっと彼らは古くからのバスケットファンなのだと思う。私も次にもし見に来るなら、アリーナ席は避けようと思った。


 バスケット協会のトップの方々に言いたい。

 日本のトップリーグなんだという、
 自覚と誇りを持った運営をしてください!
 こんなことを続けていると、
 お祭り騒ぎをしたいブースターだらけになって、
 本当のバスケファンは育っていかないと思いますよ!


と、まあ、こんなネットの片隅で声を上げてみたところで届きっこないし、協会か新聞にでも投書してみようかな。




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Posted on 2017/03/27 Mon. 18:28 [edit]

category: エッセイ

衝動買い Schecter C-4 Custom  

 ベースを衝動買いした。

 今までずっとMoonってメーカーのベース一本で過ごしてきた。もちろん初めて買ったのがそれってわけではないが、30歳代のとき、当時相当無理してJJ-4ってモデルを買った。
 やはりいいものは音がいい。当然の如く、入門期に買った安いベースは弾くことはなくなり手放した。それにWEASEを組んでからフレットのすり合わせをしたり、ピックアップを交換(過去記事1過去記事2参照)したりして手を入れているうちに、ますます好みの音を出してくれるようになり、ずっとそれ一本で満足してきた。
 しかし数年前、ライブを目前にしてベースの調子が突然悪くなった。ライブ直前のギリギリで修理から戻ってきて事なきを得たが、一本だけで過ごしていくのには無理があるなと痛感した。
 以来サブ機がほしいなと思う気持ちを抱えてきたが、何らかのアクシデントに見舞われた場合、サブ機を持ってステージに立つこともあると考えると廉価版を買う気にはなれない。
 好みの音が出せずにステージに立って、不完全燃焼で終わって愚痴をこぼすとか、そんなみっともない真似はしたくないし、そんな気持ちで買われる楽器が不憫だ。そういう楽器は若い子たちが目一杯楽しんでるステージで使われるべきだ。
 かと言って私の懐具合からして高価な楽器にはおいそれと手が出せない。子どもたちが自立してくれるまではちょっと無理だなと、半ばあきらめていた。
schecter1 こういう買い物は出会いだというが、まさにそうなのかも知れない。

 深夜まで仕事をしていたある日、息抜きにと覗いたネットの中で見つけた小さな中古ベースの広告。
 Schecterのベースだった。C-4 Customというモデル。
 クリックして写真を見た途端、一目惚れ。

 それまでにも中古のいい出物はないかなと検索したことは何度もあったが、胸の躍るようなものに出会ったことはなかった。同型機(カスタムモデルではなかったが)は楽器屋の店頭で試奏したことがあった。いろんな音が出せる面白いやつだというかすかな記憶が蘇った。
 Schecterのベースはハードロックやメタル系ってイメージがある。確かにロックによく合うエレキギターの様な音作りも簡単にできるが、素直なベースらしい音もちゃんと出た。でも見た目のスタイルがおっさんには不向きだなと思った。
 しかし広告の中のそいつは塗装が違った。派手なラッカー塗装やポリ塗装ではなく、渋いグラデーションのオイルフィニッシュ加工が施されている。
 ベースを始めた頃、私にベースの手ほどきをしてくれた上手い友人が持ってたのがオイルフィニッシュのベースだったこともあって、このタイプのベースに憧れに似た気持ちを持ってた時もあった。しかし、そんなことはすっかり遠い記憶になっていたにもかかわらず、その広告写真から目が離せない。

 ときめいたのだ。「出会い」だ。

 価格を見ると、もともとが超高価ってランクのベースじゃないから、中古のそいつは私にも十分手が届く。気が付いた時には購入手続きを済ませてしまっていた。

schecter2 3日ほどしてそいつは届いた。
 ドキドキして梱包を解いた。写真ほどの渋さはなくてちょっとがっかりしたが、オイルフィニッシュは使い込むうちに味わいの深みを増す。
 早速、試奏。家の中なのでアンプに通して爆音を鳴らすわけにはいかず、ミキサーにつないでヘッドフォンで聴きながら弾いてみた。期待通りの音がした。ネックの厚みや太さも私の手に合ってかなり弾きやすい。それに何より軽くて楽だ。
 MOONのベースはボディの木材の圧縮が丁寧だ。また塗装も良質のクリアラッカーを厚く塗ってあるので、20年使っても光沢は一向に衰えず、傷もあまりない。しかし、そのせいでとにかく重い。この年になってくるとその重さがつらいなと思うこともある。
 もちろん、木材の高圧縮と良い塗装のおかげで、Moonの音の深みと伸びはこの上なく心地よい。だから、Schecterが家にきても、メインの座は譲らないと思う。
 でもSchecter独特のロックサウンドを生かせる楽曲がWEASEにはあるなとも思うし、軽いのは練習の打ち上げ後の千鳥足にはありがたい。だから出番は少なからずあると思う。いい子が来てくれたなと思う。

 それから数日して、ネックの反りに気付いた。ローポジションの1弦の音詰まりがひどい。やっぱり中古かと、少しブルーになったが、ロッド調整で十分対応可能な程度で簡単に直り、問題なし。今は元気に音を出してくれている。
 クリスマスの直前の23日、忘年会兼音収めのWEASEのスタジオ練習がある。初めてアンプを通して弾く。どんな姿を見せてくれるのか楽しみで仕方がない。当日は弦とバッテリーを新しいもの替えてやろう。



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Posted on 2016/12/21 Wed. 23:56 [edit]

category: エッセイ

新しい家族  

 私の通勤路に動物愛護管理センターがある。以前はそこで飼い主が見つからない保護した犬たちの頒布会を時々やっていたのだが、最近は頒布会の会場は移したのか、やらなくなっている。
 妙な予感は朝からあって、そこで頒布会があって立ち寄っている夢を見た。頒布会に行ったことなどない。連れて帰ってもらえない動物たちは殺処分が決まっている。そんな場所にはよほどの覚悟がない限り立ち寄れない。それに現在の我が家の状況からして犬は飼えない。今年8歳になるモモという名の猫がいて、この子がとても臆病で犬との同居はまず無理だ。それに加えて餌だけ食べにくる片目の不自由な野良もいて外で飼うことも難しい。妙な夢だなと思いながら出勤の支度をした。
 センターに面した道路から見える外のケージに動物がいることに、最近はほとんど遭遇しなくなっていてちょっと油断していたのだが、その日の帰宅時、何気なくそちらに目をやると一頭の柴犬がいた。ドキッとしてアクセルを緩めた。
「止まるか?引き返すか?」
「いやいや、ムリだ」
「ほっといたらあの子、死ぬぞ」
「しかたないやろ。うちの子たちはどうするんや。責任持てるんか。みんな幸せにできるんか」
道の端に車を寄せ、止め処ない懊悩に苦しみ、諦めて車を発進しようとした時、スマホの着信が鳴った。バンドメンバーからのLINEだった。

「女紹介したろかと思て」
IMG_2417
「かわいいやろ。どう?」
「え?何?飼わんかってこと?」

 写真を見た私は30年ほど前のことを思い出した。
 私は学生時分に汚いアパートでこっそり猫を飼っていた。大学の生協の食堂で学生コンパが開かれていた夜、酔って歩いてる学生たちの雑踏の中、子猫が必死で餌をねだるように鳴いていたのだ。しかし、酔った学生には気付かれずポンポンと蹴とばされていた。それでも必死で鳴き続けている。そのことに気づいた私はその子をアパートに連れ帰ってしまったのだ。しかし、金が無いのと無知だったこともあって、避妊手術などはしていなかった。2年後、その子は5頭の子どもを産んだ。白猫は2頭で3頭は白黒のブチだった。
 大家は黙認してくれていたのだが、流石に子どもが生まれると只では済まず、アパートでは飼えなくなった。仕方なく所属していた軽音楽クラブの部室のある学生会館の屋上に、こっそり猫小屋を作ってそこで飼っていた。クラブの後輩や当時のバンド仲間たちもかわいがってくれていて、子猫のうち真っ白の子とブチの子の1頭ずつは、実家で飼うからといって引き取ってくれた。残った子たちを何とかしないと思っていたある日、学生課に見つかって追い出されたと後輩から電話があった。あわてて大学に駆け付け、敷地内のあちこちや近所を探し回ったが見つからない。保健所にも問い合わせたが保護してないとのことだった。
 結局その子たちと再び会うことはなかった。今でも残る私の古傷だ。
 その時の子猫に左の子がそっくりだった。

 「嫁さんの友だちン家の猫。飼い主さがしてて。右の子。オス。よかったら。」
縁だと思った。左の子ではなかったが、写真の中で子猫が
「柴犬クンの代わりにボクが行ってあげる」
そう言ってる気がした。妻も無類の動物好きで、事情を話せばきっと反対はしないだろう。その場でO.K.した。ラインを送ってくれたバンドメンバーは、あまりに私があっさり引き受けたのでちょっと心配してくれたが、大丈夫だからとラインを送ってスマホを閉じた。
 家に帰って、まだ仕事から帰ってなかった妻にメールと写真を送った。
 小1時間ほど経って、玄関のドアを開けるなり妻は2階に駆け上がってきた。
「いつ来るん?いつ来るん?」
と大騒ぎしながら。(笑)
 その日の夜、猫を世話してくれるというIさんという方と連絡を取った。その方が飼ってる猫ではなく、その人の知り合いの猫だそうで、週末の日曜に連れてきてくれるという。その猫は8月25日生まれだそうだ。私は結婚してからも猫とはずっと一緒に暮らしてきたが、あの安アパートで生まれた子たちを除き、出会ってきた子はみんな野良で、生年月日が分かっている子は初めてだ。
 翌日、Iさんからラインが入った。どうしても都合がつかず、連れて行けるのは約束の翌週の土曜になるという。盛んに恐縮しておられたが、ワクワクして待つのが一週間増えただけだと返信した。
 そして、いよいよその日がやってきた。昼頃に電話が入った。すると、先方の手違いで連れて行くはずだった子はすでによそに引き取られていて、残っているのは写真の左の子だという。
 私はまた縁を感じた。あの写真を見た時のあの感じ、内心「左の子じゃないのか」と少しだけ感じてしまった残念な気持ち。最初からあの子が来ることになっていたんだと思った。
 めちゃくちゃ恐縮されているIさんに、「ご縁だから」と伝えようとするのだが、よほど慌てておられるのか、なかなかこちらの言葉が届かない。なんとか
「大丈夫ですから連れてきてください」
と伝えて電話を切った。
 ラインで送られてきた写真を見て私たちはふきだした。
IMG_2507 (1)
「どうせ手違いやし」
とすねてるように見えたからだ。

 この子の家の宝塚から京都まで車で来られるIさんの、時々入るラインをそわそわしながら私たち夫婦は待った。近くまで来たという知らせが入ったときは、もう待ち切れず外に出た。
 Iさんの運転するプリウスに乗って、静かにその子はやってきた。車のドアが開き、キャリーに入って現れたその子はずいぶん落ち着いてるように見えた。おびえた様子はない。家に上がってもらいキャリーから出すと、すぐに興味津々な様子で部屋の中を探検し始めた。抱き上げても嫌がらない。
 ロングドライブだったし、きっとおしっこがしたいだろうとトイレのそばまで連れて行ってやると、すぐに用を足した。慣れるためにと思って、お願いして持ってきてもらった前の家のトイレ砂は必要なかった。賢い子だ。
 Iさんが帰られた後、起きてきた娘とその子はおもちゃで遊び始めた。猫は環境の変化に敏感で、新しい家になれるのには日数が必要なことが多いが、なんて順応性の高い子だと感心した。
 俳優の星野源にはまっている娘は、この子に「源ちゃん」と名付けた。私は別に星野源が好きでも何でもないが、なかなかいい響きだと賛成した。妻も異論はないようだった。
 その後、来客におびえて2階に引っ込んでいたモモが下りてきて、緊張の初対面をした。源ちゃんはモモと遊びたそうに寄って行ったが、臆病娘のモモは、威嚇の声をあげ寄り付かせようとはしなかった。モモにはもう少し時間が必要なようだ。

gen その夜、妻も私も源とたくさん遊んだ。告白するが、実は私はモモにはあまり好かれておらず、一緒に遊ぶどころかそばに近づくことさえ敬遠されている。久々に猫と遊べた私は大満足だった。
 妻はモモが気がかりで、早々にモモと一緒に床に就いた。娘はバイトに出かけ、私は源と二人きりで遊んだ。膝の上でちょこまかと跳ね回りながらおもちゃを追い掛け回す、何年振りかに味わう子猫の重みと感触が心地よかった。膝の上で休んだり私が立つと後を追ってきてくれたりするのもうれしかった。風呂に入って出てくると、風呂のドアの前で座って待っていた源を見て、私は完全にハートを射抜かれてしまった。
 普段なら私は宵っ張りで、深夜まで起きていることが多いのだが、少し風邪気味なこともあって早めに床に就いた。源は私の布団に入ってきた。猫と同じ布団で寝るのは、結婚してすぐに一緒に暮らし始めたチャン太と名付けたオス猫がいた時以来だから、10年ぶりぐらいになるか。さらに告白するが、私に懐いたのはチャン太だけで、結婚した後に一緒に暮らした他の子たちはみんな私が苦手だった。猫は男の低い声が苦手なんだという話やメス猫は特に男声を苦手とするんだという話を聞いて、それで自分を慰め続けてきた。息子には懐いていたが、それはあえて考えないようにしてきた。源の前のご主人も男性だったらしいから、それもあって私が平気なんだろう。有り難いことだ。
 風邪がうつっては大変と、寝息がかからないように気を付けつつ、源の体温を感じながら私は心地よい眠りに落ちた。


 これから源を加えた生活がどうなっていくのか、楽しみは尽きない。
 早くモモがこの生活に馴染んでくれることを、今は一番願う。






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Posted on 2016/11/13 Sun. 18:38 [edit]

category: エッセイ

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