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ベース弾きのヒトリゴト的ブログ

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春のライブツアー 第3弾 初の名古屋公演
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最期の偶然  ~親父の逝去~ その1  

 その日、私は東京に住む息子を呼び戻し、妻と娘も連れて、姫路の日赤病院に父を見舞いに来ていた。先週末も私は一人で親父を見舞っていて、2週続けて見舞うつもりは無かったのだが、息子が帰れそうだというので、今のうちに会わせておいた方がいいなと思い、家族4人で見舞ったのだった。
 病室に先に来ていた母や姉も含めて皆で談笑をしているときも親父はずっと昏睡状態だったが、多分聞こえているんだろうと思った。
 息子と娘の就職の内定の報告もできたし、容態も安定しているように見えていたので、とりあえずいったん京都の住まいに戻ろうとしていたときだった。
「今日は、京都に帰られない方がいいと思いますよ」
親父の脈をとっていた若い看護師は唐突にそう言った。


 先週末、私は親父のベッドの横のソファーで一夜を明かした。 日中は普通に親父とも会話ができたし、冗談も言っていた。しかし、夜、部屋の灯りが落ちて眠りについてからは、横に寝ている私を大声を上げて何度も呼んだ。
「今日は知事部局の呼び出しがあるから起こしてくれ」
「今日は入学式だから起こしてくれ」
親父は中学校教師としてその職に没頭していたときに帰っているらしい。
「今日は何も無いよ」
と言っては安心させて寝させるのだが、30分ほどもすれば、またなんだかんだと言って私を呼ぶ。
 あまりに何度も起こされるので、いい加減うんざりして、知らぬふりをして狸寝入りをしていると
「今年の教育実習生は返事もせん!」
と叱られてしまった。これには流石に吹き出してしまい、
「はい、先生申し訳ありません。何でしょうか?」
「お茶を入れてくれ」
「はい。冷たいのでよろしいですか」
と、親父とミニコントを始めてしまった。
 親父が最初の大腸がんの手術を受けたのは5年前になる(過去記事「親父の肩越しの月」「親父の背中」参照)。癌の摘出手術自体は成功したが、そこから様々な病との闘いが始まった。しかし老人性の痴呆にはならなかった。だから親父が見ているのは譫妄(せんもう)状態の中の幻覚で、極度の身体のストレスがそれを引き起こすことがあるのは知っていたので、かなり深刻な状況なのだということは理解できた。
 空が白んでくる頃になると親父はようやく幻覚症状から脱したようで、
「目をつむると、絵巻物みたいにいろんななものが見える」
と表現した。そして部屋を明るくするように私に言った。
 昼過ぎになって、実家の近くに嫁いでいる姉が病院に到着した。姉は親父の介護をこの五年間、一手に引き受けてくれている。私は昨晩のことを面白おかしく姉に報告し、看護を姉と交代して退出しようとしたとき、親父はこういった。
「これでお前も病人の看護の大変さが分かったやろ」
「誰が誰に言うてんねん!」
病室は笑い声で満たされた。親父の照れ隠しを含んだ冗談だ。


 「今日は、京都に帰られない方がいいと思いますよ」
 看護師がそう私たちに告げてから1時間も経たないうちのことだった。先週は冗談も言っていた親父が、静かに、本当に静かに息をひきとった。
「ご家族がみんなお揃いの中、逝かれるなんて本当に希なことなんですよ。ちょっと目を離した隙に逝かれることの方がずっと多いんですよ。」
と、最期の看取りを終えた親父の主治医は、そう言って私たちを慰めてくれた。
 5年間、ずっと親父を看てくれていた主治医が、今日たまたま当直であったことも偶然だし、今日家族が揃っていたことも偶然だった。その偶然に私たちは感謝した。

  そう言えば、今日は父の日だ───

<つづく>



 親父の最期を巡っては様々な偶然が重なった。そのことを何回かに分けて綴ろうと思う。その偶然の連鎖に何事かの意味があると思っているわけでは無いが、それを記しておくことには、少なくとも私たち家族にとっては、いくらか意味のあることになるはずだ。




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Posted on 2017/08/20 Sun. 17:34 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その4 ~完結編~  

 ライブ開始時刻になった。トップ出番は対バンのビシソワーズ・ブンブン。店内はネット広告の効果があって超満員。立ち見さえ出ている。
 ――――となれば最高だったのだが、現実はそんなに甘くない。対バンのお客が一人、WEASEを見に来てくれたのは名古屋に住むS君。つまり、お客は合計2人。過去最低の動員となった(爆)。
 S君は私のベースの師匠と言ってもいい人だった。私は大学生の時になーさんとブルースバンドを組み、そこでベースを弾き始めたのだが、ラインの作り方や弾き方の基礎を教えてくれた。もっとも、彼は口数が多い方ではなく、頻繁に手取り足取り教えてもらったわけでは無いが、憧れの気持ちを持って演奏する姿を眺めたベーシストの一人だった。私が今回のライブに持って行ったのは、最近買ったSchecterのオイルフィニッシュのベースだが、その購入動機には、S君が当時持っていたのがオイルフィニッシュのベースで、気持ちのどこかでそのタイプのベースに憧れを持っていたことが含まれるのは間違いないと思う。(過去記事「衝動買い」)S君自身はエレキベースからウッドベースに転向し、大学の後半は大学の管弦楽部に所属していた。
 また、なーさんは高校時代はフォークを中心にやっていて、高校時代からブルースをやっていたS君からブルース特有のテンションコードをいろいろ教わった。
 そのS君が来てくれると聞いて、私は内心「師匠に恥ずかしいものは見せられない」と張り切っていたのだが、なかなか現れずやきもきしていた。そして対バンのステージの途中、当時と変わらぬ笑顔で彼がライブハウスに入ってきたときは本当に嬉しかった。
 互いに近況報告をしあった。現在も名古屋市の市民オーケストラで演奏活動を続けているそうだ。息子さんはチェリストになりドイツへ単身音楽留学中。すでに日本でも知られる音楽家となり、東京や名古屋の大きなオーケストラにゲストとして招かれるまでになっているそうだ。
「チェロか~。やっぱり低音、好きなんやなぁ」
と言ったとき
「そうみたいやなぁ。低音、好きみたい」
と少し照れくさそうに笑った目には、息子を誇らしく思うと同時に、息子に影響を与えることのできた親として、そしてベーシストとしての誇らしさも含まれているのが感じられて、なんだか私まで嬉しくなってしまった。

 いよいよ、WEASEの出番が始まった。客席にいるのはたった二人のお客と対バンのメンバーだけだったが、始まってしまえばそんなことは関係なかった。
 1曲目は新曲「JungleJungle」。ジャングルビート(ベニー・グッドマンの名曲「Sing Sing Sing」を代表とする、アフリカンな感じのビート)の激しい曲。なーさんが曲を書き、久しぶりにまこチャンが詞を書いた。この曲ができるのには、ちょっと不思議な経緯があって、新曲はどんな感じで書こうというミーティングで、やまさんもなーさんもJungle Beatの曲のイメージを持ってきていたという不思議なシンクロが起こった。
 やまさんが刻む多彩かつ熱いリズム、なーさんのドラマチックなギター、アドレナリンが放出し始めているまこちゃんの野太いボーカル。慣れ親しんだメンバーの音に包まれ、意識は音楽に吸い込まれて同化していく。同時に冷静さも失わずにいられて
「ん?ベースの音が小さいな。やっぱり本番になるとリハ通りには行かないな」
と思ったが、手元のボリュームはフルに近い。アンプをいじるしかない。しかし開始三曲はメドレー的に間髪入れず進めることになっていて、アンプをいじる暇は無い。私は指先に力を込めて演奏を続けた。
 曲が終わると同時になーさんのソロギターが「フクロノネズミ」へと導いていく。この曲はこのブログでその制作過程を公開した曲で、私が提案した当初は軽めの4ビート系の曲だったのだが、ハーフシャッフル系の激しいブルースロックに大変貌を遂げた曲。私がWEASEのバンド力を最も感じた曲の一つだ。(フクロノネズミ制作記
 息つく間もなく「307号室」。これまた激し目のハードロック。ロックバンドと評されることの増えてきたWEASEだが、実は典型的な8ビートのロックは少なくて、その数少ない8ビート曲の一つ。
 ふと客席に目をやると、S君は椅子から転げ落ちそうなくらいに身体を揺らして楽しんでくれている。曲が終わると同時に対バンのメンバーたちが、甲高い声で声援を送ってくれた。

 次の曲に入る前に音響設定。実はリハーサルでは起こらなかったハウリングに見舞われていて、その調整に少し時間がかかってしまった。その時間を利用してベースアンプのボリュームを少し上げた。

MAH00021 (4) - コピー 気を取り直し4曲目の「空き缶」。スローでマイナーのレゲエテイストの濃い曲。この曲の詞は、夜明け近い街をふらふら千鳥足で歩くボーカルのまこちゃんをイメージして書いたもので
「まこちゃんへのラブレターやで」
と打ち明けたとき、まこちゃんはめちゃめちゃ照れた。割と初期の曲で、ステージにかけるのはずいぶん久しぶりだ。この曲をやるとき、やまさんはドラムに様々なパーカッション楽器を加えて演奏する。音源を聞くと、ドラムセットと各種パーカッション楽器のひとつひとつが、独立したタイム感で刻まれていて、とても一人の演奏者が演奏しているとは思えない。やまさんの巧さは知っていたが、その凄みを最初に感じた曲だ。
 5曲目はJazzyな曲調の「八月の夜」。3拍子の曲なのだが、所々に5拍子や4拍子が挟まれるという、少しだけトリッキーな曲。さりげなく入れるので、そんなトリックに気づくお客は多分いないと思っていたがS君は気づいていて、ライブ後にこの曲の面白さを褒めてくれた。そしてこうした変拍子の曲はWEASEに合っている、どんどんやって欲しいとまで言ってくれた。
 6曲目は跳ねた感じのロック「I am your son」。曲調とは裏腹に歌詞は親の介護を歌っている。なーさんが、先日他界したお父さんの介護に腐心していたときに、アルツハイマーを発症した親御さんの介護に苦労している知人に心を寄せて書いた。我々は皆介護世代。この曲をやるとき思いは様々に巡る。私の父も終末期医療の治療を受けている。少し熱くなって普段やらないことをいろいろやってしまった。ちょっとやり過ぎたかなと思っていたが、事後に音源を聴いたなーさんがかっこいいと褒めてくれたのでホッとした。
 6曲が終わり、ここではじめてまこちゃんのMC。前回書いた、動画再生回数に引っかけて
「今日は3000人入る予定やったんやけど・・・」
と言うと客席から
「3000人いるよ」
とツッコミが入り、
「ほんま?そしたらもうちょっとがんばろ」
と応えたのは笑った。
 7曲目は明るく軽いレゲエテイストの「ひまわり」。バンド活動の初期にまこちゃんが詞を書き、私がロックンロールな曲をつけたがボツとなった。でも私はまこちゃんの、普通ひまわりと言えば明るい太陽光をイメージするのに「闇に咲くひまわりが教えてくれる」という不可思議な歌詞が気に入っていて、なーさんに別の曲をつけて欲しいとリクエストし、めでたく歌詞が復活した曲。
 8曲目はブルース曲「主」。この曲はしばらくやっていなかった、というかまずやることはもう無いと思っていた曲。私となーさんが共作した歌詞の内容がまこちゃんの生き様にそぐわず、歌うのは照れくさいと言ったからだ。
 しかし、私やなーさんのブルースの師匠のS君が来てくれると聞き、直前になって
「それならやらんとあかんやろ」
とまこちゃんの提案で今回のセットリストに載った。ライブの後でまこちゃんは
「なんかふっきれたわ。これからも『主』はやろう。やっぱりええもんはええわ。」
と言ってくれたのは嬉しかった。
 9曲目は「タメイキトウソ」。この曲はベースがスラップで弾きまくる曲で、前回書いたブラジルのベース弾きが褒めてくれた曲だ。この曲をやり始めたときは、間奏でギターとベースとドラムのソロ回しがあったが、まこちゃんが「曲がダレる」と言ってギターソロだけになっていた。しかし、これもライブ直前にまこちゃんの提案でソロ回しをやることになった。
 なんだか書き様がまこちゃんに振り回されているように感じられるかもしれないが、全くそんなことは無い。私たちはバンドの舵取りはまこちゃんに全幅の信頼感を持って託している。まこちゃんのこだわりが、ステージを見た人から「かっこいい」と言われるバンドに育て来たと思っているからだ。結成間もない頃、同じライブに出た対バンと比べてバンド力で完敗してると感じた、昔のWEASEの姿ではもう無いと、胸を張って思えるのはまこちゃんのこだわりのおかげだと、最近さらに強く感じている。
 なーさんのギターソロは相変わらず熱くてかっこいい。一発で曲をぐっと盛り上げる。
 私はソロ部分の練習不足もあったのに、張り切りすぎた感が拭えない演奏になってしまい、なーさんは褒めてくれたが、自分自身はかなり悔しさが残る。
 歌感たっぷりのやまさんのソロが終わり、リフの後、まこちゃんのブルースハープで曲をしめた。
 まこちゃんは歌もハープもどんどんかっこよくなっている。そう言うと
「オレは全然や」
と決まってそう答えるが、これはまこチャンを除く3人共に一致した意見。やっぱり歌バンはボーカリストがかっこよくないと話にならない。WEASEが「かっこいいバンド」に成長してきているのは、言うまでも無くまこちゃんの進歩によるところも大きい。 
 10曲目は、「Go! Go! Go!」。まこチャンが若かりし日にやっていたパンクロックの匂いが漂うちょっとスリリングな曲だ。アラビア風リフのギターとベースのオクターブユニゾンもバッチリ決まった。
 アンコールは「夜が叫んでる」。これもステージにかけるのは久しぶり。WEASEが最初に作った曲で全てはここから始まったと言える曲。
 

 全11曲。アマチュアの対バンライブやフェス系のイベントは、1バンド30~40分が相場で、こんなにたくさんやれることはまず無い。ミスもあったがめちゃくちゃ楽しいライブとなった。ライブハウスのマスターからも
「よくまとまったいいバンドだね。次はもっとお客が呼べるようにブッキングをするから、これに懲りずにまた出てね。それにフェスは名古屋にもある。それにも挑戦してみたらどう?」
と言ってもらった。年に一度は名古屋ライブもいいなぁ。

 私たちの満足感はハンパなかった。それはライブ後立ち寄った地元民が集まる居酒屋での表情を見てもらえれば一目瞭然だろう。

<了>


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Posted on 2017/06/17 Sat. 13:35 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その3 ~名古屋城見物・ネットの力~  

IMG_2957 ライブ当日の朝、せっかく来たのだからと我々は名古屋城見物をした。
 考えてみれば、ライブの後の打ち上げや練習の後の打ち合わせで飲むことはあっても、メンバー全員で観光をするなどといった音楽活動と全く関係ないことで遊ぶのは初めてのことで気分は浮き立った。
 ましてや天気は最高で、否応なくテンションは上がり続けた。抜けるような青空を背景に金色に輝くしゃちほこを頂いた天守閣が、文字通り「天晴れ」な佇まいでそびえ立っているのを見た瞬間、我々はまるで田舎のおっさんの慰安旅行のように
「キンノシャチホコ~!」
と大声を上げてはしゃいだ。

IMG_2962 また、運のよいことに名古屋城は本丸御殿の木造復元工事の真っ最中で、御殿をすっぽおりおおう巨大なプレハブの内部に見学用の足場が組まれ、見下ろすような視点で自由に見学できる。安全ヘルメットの着用が義務づけられていて、大工が本業のまこちゃんはやっぱり似合っていた。
 珍しい体験に皆興奮したが、まこちゃんは目つきが変わり食い入るように眺めていた。そして
「宮大工はやっぱりすごいわ~」
としきりに感嘆の声をあげていた。きっと我々には見えないことが見えているんだろう。

IMG_2963 城見物を終え、直前リハーサルをするために我々はライブハウスに向かった。
 店の前には昨日は見かけなかったライブの告知看板が出ていて、それにはFacebookやバンドのホームページのために作った画像が使われていた。マスターの粋な計らいに4人とも感激し、記念にと皆シャッターを切っていた。
 店内に入ると、既に対バンのビシソワーズ・ブンブンのメンバーは到着していた。普段はピアノ&ギターボーカルのデュオらしいが、今日はベースとドラムのサポートメンバーを加えてやるそうだ(ドラムはライブハウスのマスター)。70年代にヒットしたエリック・カルメンのコピーをやると聞いていて、どんな感じだろうと楽しみにしてたのだが、なかなか爽やかなサウンドを奏でている。
IMG_2964 彼らのリハが終わった後の女性ピアニストの様子がなんだかおかしい。よく見るとどうやら泣いている。聞けば、今回が初ライブに近いのだそうで、緊張のあまり泣き出してしまったらしい。若いギタリストが懸命に励ましている。
 昔、私がやまさんと組んでいたバンドの女性ボーカリストが、彼女の通っている大学の学祭のメインステージに出ることになって、緊張で泣き出してしまい部屋に閉じこもって出てこなくなったという事件を思い出して、私は微笑ましい思いで彼らを眺めていた。
 私たちは夕べ一通りのリハをしているので、簡単なサウンドチェックをするだけにとどめた。
 リハの合間に、この店の人気メニューだと聞いてた名古屋名物のあんかけスパゲティを頂いた。あんかけスパゲティは初体験で、長崎の皿うどんのような見た目を想像していたのだが全く違っていた。スープスパゲティのスープに軽くとろみをつけてあるといった感じで、ブラックペッパーがよく効いててとても旨かった。人気なのもうなずけた。
 パスタと言わずにスパゲティと呼ぶのもなんだか納得だった。庶民の味って感じで、気取らない名古屋の風土をよく表してる気がした。
 開店前だというのにわがままを聞いて作ってくださったマスターや奥様に感謝しながら、私は舌鼓を打ち続けた。夕べの手羽先や味噌カツと並んで、ウワサに聞く名古屋飯のレベルの高さに驚くばかりだった。

ad1 腹も膨れたし、リハも済んだし準備万端。後はどれだけお客が入ってくれるかだなと思った。
 実はこのライブに向けて、私はFacebook上にライブ当日(5月28日)までの期間限定で広告を2本出していた。Facebookの広告は安価な割によくできていて、わずか数千円でユーザーの趣味嗜好や地域などを絞り込んだターゲット指定をした広告が打てる。全く知名度の無い我々を出演させてくれるライブハウスの売り上げに少しでも貢献できればと思ったのと、やはりお客は多い方が嬉しいので、初めて広告を出すことにしたのだった。
 その広告は予想以上の反響があり、動画再生回数は3500回を超えた。もちろん広告はFacebookを閲覧していると自動で流れるので3500回と言っても驚くことでは無いのだろうが、通常音声OFFで流れる広告に興味を持ち、音声をONにしてくれた方が2000人以上もあったのにはおどろいた。(広告データの詳細について参考にされたい方は画像をクリックしてみてください。拡大します)
ad2 「いいね」は数こそ少なかったが、今までは無かった全く知らない方の「いいね」がちらほらと届き、さらに驚くべきことに、広告の表示地域は名古屋と我々の居住区を指定したにもかかわらず世界中で流れたようで、アジアやイスラム圏、南米からも「いいね」が届いた。嬉しかったのはブラジルに住むベース弾きが「Nice bassline(※ベースライン…ベースが奏でる旋律)」とコメントをくれたことだった。 夕べホテルでスマートフォンを使ってチェックしていて見つけたときは、めちゃくちゃテンションが上がった。「THANKS!」と返信するとすぐさま「いいね」が返ってきた。ネットってすげえなあって改めて思った。―――広告に使った動画は大宮グッドフェスティバル2017でやった「タメイキトウソ」。広告では無いですがこのブログにもその動画は貼ってあるので、よかったら見てやってください。PCは左サイドバー内、スマホはMENU→VIDEO―――
 
 後数時間でいよいよ本番。
 どんな感じになるか、わくわくが止まらない。

<つづく>


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Posted on 2017/06/12 Mon. 22:21 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その2 ~列車旅と名古屋飯、そしてリハーサル~  

 家にいても朝の事故のことで気分が滅入ってくるので、私は予定より少し早く出発した。
 京都駅でJRに乗り換え大津駅でいったん下車して、大津の街に住むなーさん(ギター)や、後からくる列車に乗っているまこちゃん(ボーカル)を待った。
 駅のホームは琵琶湖から吹いてくる風が心地よくて、落ちていた気持ちがだんだんと旅気分へと変わっていった。
 なーさんやまこちゃんと乗った列車に、近江八幡の駅で最後にやまさん(ドラム)が乗車し、無事、全員がJRの車内で合流できたのは午後7時30分を過ぎていた。
 当初は米原駅で新幹線に乗り換える案もあったが、待ち時間を考えると新快速で行っても対して変わらないことが分かり、皆、金のないこともあって在来線での旅となった。
 列車の旅ということでテンションが上がったおっさんたちは、無邪気にはしゃいだ。長年付き合っているのに私は知らなかったのだが、なーさんが意外に鉄ちゃんでいろいろな鉄道に関する豆知識を披露した。
 4人揃ったら車内でビールで乾杯・・・・の予定だったが、米原での乗り換えが慌ただしくて買い込むタイミングを逸し、空腹を感じ始めたおっさん4人の口数はだんだん少なくなっていった。
 時折口を開くと話題は名古屋飯のことばかりになり、味噌カツ、名古屋コーチンの手羽先、きしめん、エビフライ――挙げ句の果ては明日の朝の豪華な名古屋モーニングのことにいたり・・・・その話も一通り済むと、後は所在ない時間が過ぎていった。
 スマホの画面を見ていたまこちゃんが、
「あかん。こんなもん見てたらなんか腹立ってきた」
と怒っている。画面を覗くと「名古屋飯」の文字といくつかの料理写真。空腹の頂点に達したらしい。
 なーさんは停車時間が少し長い駅で「ダメ元で」と言い残し列車から降り、アルコールを求めてさまよっている。
 やまさんは――寝てたかな。きっとあれはふて寝だ。
 私はと言えば、妻が「おいなりさんあるよ。」と勧めてくれ、出がけに一つだけつまんだ小ぶりのいなり寿司の味が口の中に蘇っていた。もっと食ってくればよかった。

 名古屋駅に着いたのは9時を少し回っていた。駅前のビジネスホテルでチェックインを済ませ、駅前通りに出た。旨そうな酒場が軒を連ねていたが、食事の後はライブ会場に行ってリハーサルがある。空腹のおっさんたちが居酒屋に入ってしまえば腰が落ち着いてしまうのは必至なので、涙をのんで駅ビル内の「うまいもん通り」にある名古屋飯が食べられる店に入った。
 フードコートに毛が生えた程度の店だったが、とりあえず皆でシェアした手羽先の唐揚げは絶品だった。余分な脂は抜けているのに肉はジューシーで軟らかい。表面はパリパリに揚げられて名古屋風の甘辛い味付けが施されている。生ビールとの相性は抜群だった。
 4人とも「旨いなあ」以外の言葉はどこかに落としてしまったらしい。ビールを飲んでは「旨いなあ」、手羽先かじっては「旨いなあ」。ことによるとうっすら涙ぐんでたかもしれない。
 私は正直なところ、手羽先は得意な方では無く、脂が多すぎると思っていたのだが全くそんなことは無くて、空腹の味付けもあって、これなら何本でも食えるなと思った。
 ジョッキを1杯(他の3人は既に2杯(笑))空けたちょうどいいタイミングで出てきたのは、味噌チキンカツ定食。(定番はとんかつなのだろうが、入った店は鶏屋だった)味噌で味付けされた名古屋コーチンのカツがご飯によく合って、大盛りご飯もペロリと平らげた。
 食後、明日のライブ会場となるライブハウス”LIVE SONGS”に向かうために乗ったタクシーの運転手は、偶然にも昔東京や名古屋を中心に活動していたバンドマンで、栄にあるライブハウスに着くまで、大先輩が活躍した当時の音楽シーンの興味深い話をたくさん聞くことができた。
名古屋ツアー_1 着いたライブハウスはステージこそ多少手狭な感じがあったが、とても感じのいい店構えで、待ってくださっていたマスターやマスターの奥様もとても素敵な方たちだった。
 マスターはドラマーで昔は近畿圏在住だったそうだ。なーさんとは20年ぐらい前に一緒に演ったこともあるらしい。ライブイベントでは私も出会ってるらしいのだが、失礼なことに全く記憶に無かった(汗)。
 セッティングを済ませいよいよリハが始まったのは、11時近かったろうか。
 ベースアンプはYAMAHA社製のもので、昔よく練習スタジオで見かけたものだった。実はそのアンプはギンギンの音がしてあまり好きなものでは無く、内心「アラララ・・・」って感じだったのだが、持って行ってたSchecterのベースとのマッチングがいいのか、実に素直な音がしてテンションが上がった。ダイナミックレンジも広くて、ちょっとしたタッチの違いも敏感に反応してくれる。音の出し入れは容易そうだった。
 音作りに時間がかかるかなと思ってたのだが、アンプ側のイコライザーはフラットにしておけば、後は使い慣れたエフェクターを少し調整するだけで済んだ。
 何曲か演奏し、バンド全体のボリュームバランスを確認してリハーサルは終わった。時計の針は既に日付が変わったことを告げている。
 マスターと奥様に、遅くまで付き合って頂いたことに感謝申し上げ、私たちはホテルに戻った。ホテルの近くのコンビニで酒とつまみを買い込んだが、やまさん(ドラム)は日頃の疲れが溜まっているのだろう、割と早い段階で寝てしまった。私も昼間の事故の件もあってクタクタで、2時過ぎには眠りに落ちた。タフなまこちゃんやなーさんは明け方まで飲んでたらしい。

<つづく>


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Posted on 2017/06/04 Sun. 00:34 [edit]

category: エッセイ

名古屋ライブの顛末 その1 ~事故った~  

 名古屋ライブに向けての、前日乗り込みの土曜日の朝。仕事上の用事で、土曜日の郵便の取り扱いをしている自宅近くの大きな郵便局へ行った、その帰り道。信号の無い交差点に入った瞬間 ――――
 左から猛スピードで銀色の車が突然現れた。ブレーキを踏んだが間に合わず・・・・。いわゆる「出会い頭の事故」を起こしてしまった。不幸中の幸いというか、相手方の運転手は温厚そうな青年で、また、双方共に身体に異常は無くて物損事故として処理をすべく、警察に通報した。
 頭の中で保険屋を通して事故処理をする図を構築しながら、私は遠のいていく名古屋ライブのことばかり考えていた。
 名古屋へはメンバー全員と機材を積んで、私の車で行く予定なのだ。出発は土曜日出勤をしているメンバーの勤務終了を待ってからなので夕刻の予定なのだが、面倒くさいことになると出発できない可能性は否定できない。
「前回の東近江(過去記事「失神」参照)といい今日といい、ライブの前日に何でこうもトラブルが起きるんやろ」
と、どんくさい自分にムカッ腹を立てながら、到着した警官に状況説明をした。
 物損事故なので現場での事故処理はごく短時間で済み、後は双方で示談交渉を進めてくださいと言い残して警官は去った。
 連絡先を交換し、保険屋を通して話すことを確認して相手の運転手と分かれた。
 話は簡単についたので、どうやら名古屋へは行けそうだ。
 ホッとして改めて車の破損状況を確認すると、とりあえずの走行には支障なさそうだが、左前輪のフェンダーが大きくへこみ、段差に乗るとおそらくタイヤとフェンダーが接触する。なんとか手で引っ張り出してみたが、完全にタイヤをカバーするまでには戻らず、それ以上引っ張るとフェンダーが外れてしまいかねないような「バキバキ」という音がする。
 いったん自宅に戻り、開店時間に合わせてディーラーに行った。修理は今すぐは無理だろうが、今夕車が必要な事情を話し、応急処置的にフェンダーを引っ張り出してくれるよう依頼した。
 待つこと10数分。作業を終えたサービスマンは気の毒そうな顔をしながら
「とりあえず出してみましたが、フェンダーのことよりも若干車軸が変形しているかもしれません。走って走れないことは無いかもしれませんが、高速道路の長距離はできたら避けた方が無難です。」
と言った。
 車軸が変形してる!?「できたら」なんてレベルじゃ無い。大切な仲間たちを積んでそんなリスクは犯せない。

 自宅に戻り、事故を起こしてしまったこと、車を出せなくなってしまったことを仲間たちにLINEで伝えた。
 メンバーたちは誰一人として私のどんくささを笑うことは無く、心配をし身体が無事なことを喜んでくれた。代わりに車を出してくれるように頼んでみたが、軽自動車だったり小型車だったりして、機材を積んで長距離ドライブは難しいことが分かり、結局列車で行こうということになった。
 面倒なことになったことをわびると、「列車旅は好きだから」と言って皆で慰めてくれた。 
 昼過ぎ、パートから戻った妻に事故ったことを報告した。怒られるかと思ったが、「列車の方がかえって安心だ」とか、「飲めるね」などと優しい言葉をかけてくれた。

 私の周囲にいる人々は皆優しい――

<つづく>    


     



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Posted on 2017/06/02 Fri. 23:07 [edit]

category: エッセイ

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